東京高等裁判所 平成3年(う)942号 判決
被告人 ビシことフセイン・モハマド・ザフィールことモハマド・ザフィール・フセインことバシャラット・アーメド・バット 外二名
〔抄 録〕
所論は、要するに、捜査段階においては、被告人らに対し、不公正かつ不適格な通訳人を介して、極めて不完全なコミュニケーションによる取調べが行われたため、右被告人らの真意は調書上に十分に表現されておらず、このようにして作成された各調書を罪証に供した原判決には、「言語的デュープロセス」(憲法三一条)に違反する訴訟手続の法令違反がある、というのである。
そこで、これらの点について検討するに、原審記録並びに当審における事実取調べの結果によると、まず、被告人パシャラットは、母国であるパキスタンでグジユラワラ大学(但し中退)まで進み、出身州の言葉であるパンジャブ語のほか、国語であるウルドウー語や英語にも通じているほか、日本での滞在が長いため、日本語もある程度理解し、簡単な日常会話程度はこなすに至っていることが認められる。所論も、同被告人に対して英語あるいはウルドウー語の通訳人を付したことを論難するものではなく(現に、通訳人アローラあるいは同小柴幸己の通訳を介して作成された員面調書や検証調書、あるいは実況見分調書については、同意のもとに取調べが行われ、原審法廷通訳人萬宮健策の通訳についても、別段異議や不服は申し立てられていない。)、もっぱら英語の通訳人乙山則雄の通訳人としての適格性や公正さに対する疑問、あるいは不正確さに対する非難に終始しているが、関係証拠によれば、通訳人乙山則雄は、中央大学法学部を卒業後、警察官を拝命し、昭和六〇年九月、群馬県警察本部刑事部捜査一課で日航機事故の関係での翻訳業務を担当し、その後、同六三年三月からは国際犯罪捜査係として、外国人犯罪を主に取り扱い、本件の通訳を担当するまでに約五十件ほどの通訳に携わり、また、これらの業務の傍ら、オーストラリア人について、週三回二時間の英会話のトレーニングを一年間受けたというのであって、英語の通訳人としての適格性に別段欠けるところはないと認められるし、警察官の身分を有するとはいえ、本件通訳に当たっては、通訳人として誠実かつ正確に通訳したことが明らかであるから、公正さという点においても、なんら疑問を抱かせるものはないというべきである。
また、内容的な面においても、被告人パシャラットは、原審及び当審において、同通訳人の英語は拙劣で、同通訳人の話す英語は一〇パーセント程度しか理解できなかった、自分の分かったところだけを通訳し、文句を言うと黙っていろと言ったり、また、調書を全部訳して聞かせてくれたのではなく、ところどころ抜かしていたのではないかと思う旨供述するが、証人乙山則雄の原審証言等の関係証拠によれば、同被告人は、前述のとおり、ある程度日本語を理解し、検察官の取調べにおいても、検察官の話す日本語と通訳人の英語を合わせ聴いて判断し、分からないところは質問するなどして、取調官とのコミュニケーションを重ねつつ、事件について詳細に供述していた状況が窺われ、それをまとめた調書を検察官が読み聞かせ、通訳人において逐語的に通訳し、それについては、同被告人から内容が違うといった申立てはなかったことが認められるのであるから、同通訳人の通訳の不正確さによって、同被告人の供述の真意が十分に反映していない供述調書が作成されたことを示す特段の事情は認められないといってよい。また、同被告人も出入国管理及び難民認定法違反事件関係の通訳については、特段の問題があったとは述べていないのであるし、強盗致傷事件についても、外形的事実については、検面調書の記載と公判供述とは大筋において合致しているのであって、右通訳人を介して取調べが円滑に行われたことを示しており、検面調書における供述の具体性からしても、通訳人乙山則雄の英語が一〇パーセント程度しか分からなかったということはあり得ないところといってよい。これを否定的に述べる同被告人の供述は、同通訳人が見張りをウォッチングではなく、ウオーキングと訳し、同被告人の指摘で辞書を調べてそれで初めて誤訳に気付いたなどと誇張が多く、到底信用できるものではない。しかも、同被告人自身、原審においては、事件の事実関係に関し、多くの場面について、検面調書に記載されているような供述をしたことを認めているのである。被告人パシャラットに関する所論は採用し難いところである。
次に、被告人ハムザ及び同カーワルについてみるに、所論は、被告人らは、パンジャブ語圏に属する人々であって、ウルドウー語の理解力は十分ではなく、アローラの話すウルドウー語の三分の一程度しか理解できなかった、しかも、通訳人アローラは、インド人であって、パキスタン人ではなく、異国語であるヒンデイー語を交えて通訳したというのであるから、これでは言語的デユープロセスの保障はまつとうできないというのである。
しかしながら、地方都市における小数言語の通訳人の確保には多くの困難が伴うのであって、この現実的な側面を無視するわけにいかないことは当然であり、本件についても、捜査及び第一審の段階でウルドウー語による通訳が行われ、被告人らの出身州の言語であるパンジヤブ語による通訳が行われなかったからといって、被告人らがウルドウー語を理解し得るかぎり、この措置を違法不当視することが相当でないことはいうまでもない。関係証拠によれば、ウルドウー語はパキスタン回教共和国の国語であり、同国においても、初等教育の段階からウルドウー語の教育には力を入れているのであって、ハイスクールまで進学した被告人サムザはもとより、初等教育を受けた期間が二年余にとどまる被告人カーワルにしても、ウルドウー語によって通訳が行われた原審の審理の状況などに照らし、十分これを理解する能力があったと認めるのが相当である。なお、通訳人アローラは、インド人ではあるが、ウルドウー語に通じ、しかも、父の代にパキスタンからインドに移り住んだパンジヤビであって、パンジヤブ語についても、話すことはうまくできないが聞いて理解することはできるというのであるから、通訳人としての適格性に別段問題があるとは認められない。また、所論は、同通訳人がウルドウー語とともに、被告人らにとって異国語であるヒンデイー語を合わせ用いた点を論難するが、日常会話のレベルにおいては、ウルドウー語とシンディー語とは、ほとんど差異がないというのであり、被告人らにとっても相当程度理解可能と思われるので、異国語であるヒンディー語を用いたという点を過度に非難することは当を得たものではない。しかも、被告人ハムザは、同通訳人の通訳による取調べにおいて、本件強盗致傷・強盗の各事実を認めて争わず、同被告人の原審弁護人においても、各供述調書の正確性について異議を述べず、これらの調書の取調べに同意しているのである。また、被告人パシヤラツトの弁護人も、同通訳人の通訳にかかる同被告人の員面調書について、取調べに同意しており、同通訳人の立会した実況見分調書や検証調書についても、通訳に関し別段異議を申し立ててはいないのである。被告人カーワルも、自分は道案内をしただけで、強盗の仲間には加わっていない、分け前ほしさに強盗を承諾したとも、見張りをしていたとも言っていないのであって、通訳人は調書作成の際にそういうことを聞かせてくれなかった旨供述するが、それと同時に、原審において、例えば四月一九日付検面調書について、検察官から「通訳人からこの調書を読んで聞かされるときに、何かあなたは書いてあることが違いますと述べましたか。」と尋ねられるや、「述べたことは全部本当です。」とも答えているのである。これらの点に加えて、証人アローラの原審証言を総合すれば、同通訳人は、被告人パシャラットや同ハムザとの関係ばかりでなく、被告人カーワルとの関係においても、正確に通訳したものと認めるのが相当であり、同人の通訳人としての適格性、公正さ、正確性についてこれを疑うべきものはないといってよい。
したがって、各被告人について訴訟手続に法令違反を主張する論旨は、いずれもその前提を欠き、失当というほかないが、更に、被告人らに対する刑事手続上の防禦権の保障がまつとうされているかどうかは、刑事手続の各段階を通じて全体的に考察すべきであり、捜査段階の取調べにおける通訳の適否の問題が直ちに訴訟手続の法令違反を招来するものではないというべきである。原審における本件の審理にみられるように、公判段階において、適正な通訳人が付され、被告人質問や証人尋問等を通じて捜査段階で録取された供述調書尋について、通訳の正確性を吟味する機会が十分に与えられ、それに基づいて、調書の任意性や信用性についての判断がされたのであれば、訴訟手続の法令違反の問題は、原則として起こり得ないといってよい。捜査段階における通訳人の不適格性や通訳の不正確さの問題から、直ちに原判決の訴訟手続の法令違反を主張する所論は、論理に飛躍があり、この点においても、論旨は理由がない。
(早川 小田部 仙波)